湯もみストリップエレジー
2003年3月29日金曜日、都内のデニーズにて通勤ラッシュ時間前に待ち合わせ、電車の中では文春新書「ビール大全」渡辺純著を読む。ビールに対する体系的な理解を深めるためのはじめの一歩。しかし、肝心の車所有者が寝坊の為、3時間、3時間だぜ。遅刻しやがった!
コーヒーと新聞だけで過ごそうと思っていたデニーズ、がっつり朝食を頂き、もう一人の旅の仲間ととりとめもない話、エロ言葉しりとりなど。
"さくらんぼ"って言うのが一番エロかった。ジャネット・ウィンターソンの白水Uブックス「さくらんぼの性は」を読むべき啓示だな。温泉街に集う八百万の神々からの啓示だな。
すっかり通勤・流通渋滞となってしまった都内道路から三人で出発。高速に乗ってしまったら順調なドライブ、パーキングとか道の駅でコンニャクとかソフトクリームを教科書のように堪能。正しい自動車の乗り方が出来たと思います。温泉を2ヶ所巡って、ビールを求めて草津湯畑へ。
温泉が湧く場所に人工的に作られた風景と言うのは感動的だった。湧き続ける温泉と言うのは、過去から未来への時の流れを意識させられます。湯畑の湯煙につつまれてから、あまりに美味いほうとう鍋とかガツガツ食べてたら、あ!ブタになっちゃうかも!と、不安との闘い。宿へ帰ってからは、あまり飲みすぎずバタンQ。
土曜日、朝食の時間まで銘銘自由行動。軽く朝風呂を浴びた。
草津を後にして、ダムに沈む予定の温泉街へ向かう。ダムに沈む街、ってすごいよな。なんだよそのやるせなさ。それが現実であるという思いがリアルな人たちが居るっていうリアリティはよそ者のオレにはまったく思いも及ばないけど、旅情はそそられた。
我ながらベストな感情的関わり合いだと思う。悲しみに対する同調みたいなものはキライだ。
適当に走っていた車の車窓からキョロキョロ、奇跡的に見つけた山の中腹にあるまったく無防備な露天風呂、道路からハダカ丸見えの風呂で
マッパ晒して山々を去る決心、帰途。
他人、まったくの他人と自分との関わり合い方と楽しむ事の関係を意識させられた出来事が二回。
草津湯畑にて、すごいかわいい女の子三人組から「写真撮ってもらっていいですか?」と満面の笑みで話しかけられ、無愛想に使い捨てカメラのシャッターを押したのが一回目。
まったく無防備露天風呂にご一緒することとなったオヤジ、彼の話に対しては無愛想にしてたのに、「これ食ってけよ」と温泉卵をくれたことが二回目。
単純に相手に対して「良いご旅行を」ぐらいの言葉をかけられる気遣い、人とのふれあいの一時的次元の気遣いとそれを楽しむ気持というが、これが足りない。そういうことを考えると、たまらない焦燥感に襲われてしまう。残念ながら、物事を楽しむ青春と言うのは自分の性格が悪いせいで、上に書いたような気遣いの欠如が今より著しく悪かったせいでオレにはまったく無かったという思いに囚われてしまうことで行動が躊躇してしまったりとか、これを拭い去るのがオレにとっての大人になる、っていうことだ。
しかし、ほんと5年前にくらべて、友人がこうして温泉に誘ってくれたりとか、着実に良くなってきている。ようやくスタートラインって感じで、この訪れがホントに遅かったなってこれまた落ち込むけど、これが自分の人生で罪は無いのだ。
と、アマゾンから届いたBack to mine / EverythingButTheGirl を聴きながら、書くことで得られるカタルシスっつーか。
コーヒーと新聞だけで過ごそうと思っていたデニーズ、がっつり朝食を頂き、もう一人の旅の仲間ととりとめもない話、エロ言葉しりとりなど。
"さくらんぼ"って言うのが一番エロかった。ジャネット・ウィンターソンの白水Uブックス「さくらんぼの性は」を読むべき啓示だな。温泉街に集う八百万の神々からの啓示だな。
すっかり通勤・流通渋滞となってしまった都内道路から三人で出発。高速に乗ってしまったら順調なドライブ、パーキングとか道の駅でコンニャクとかソフトクリームを教科書のように堪能。正しい自動車の乗り方が出来たと思います。温泉を2ヶ所巡って、ビールを求めて草津湯畑へ。
温泉が湧く場所に人工的に作られた風景と言うのは感動的だった。湧き続ける温泉と言うのは、過去から未来への時の流れを意識させられます。湯畑の湯煙につつまれてから、あまりに美味いほうとう鍋とかガツガツ食べてたら、あ!ブタになっちゃうかも!と、不安との闘い。宿へ帰ってからは、あまり飲みすぎずバタンQ。
土曜日、朝食の時間まで銘銘自由行動。軽く朝風呂を浴びた。
草津を後にして、ダムに沈む予定の温泉街へ向かう。ダムに沈む街、ってすごいよな。なんだよそのやるせなさ。それが現実であるという思いがリアルな人たちが居るっていうリアリティはよそ者のオレにはまったく思いも及ばないけど、旅情はそそられた。
我ながらベストな感情的関わり合いだと思う。悲しみに対する同調みたいなものはキライだ。
適当に走っていた車の車窓からキョロキョロ、奇跡的に見つけた山の中腹にあるまったく無防備な露天風呂、道路からハダカ丸見えの風呂で
マッパ晒して山々を去る決心、帰途。
他人、まったくの他人と自分との関わり合い方と楽しむ事の関係を意識させられた出来事が二回。
草津湯畑にて、すごいかわいい女の子三人組から「写真撮ってもらっていいですか?」と満面の笑みで話しかけられ、無愛想に使い捨てカメラのシャッターを押したのが一回目。
まったく無防備露天風呂にご一緒することとなったオヤジ、彼の話に対しては無愛想にしてたのに、「これ食ってけよ」と温泉卵をくれたことが二回目。
単純に相手に対して「良いご旅行を」ぐらいの言葉をかけられる気遣い、人とのふれあいの一時的次元の気遣いとそれを楽しむ気持というが、これが足りない。そういうことを考えると、たまらない焦燥感に襲われてしまう。残念ながら、物事を楽しむ青春と言うのは自分の性格が悪いせいで、上に書いたような気遣いの欠如が今より著しく悪かったせいでオレにはまったく無かったという思いに囚われてしまうことで行動が躊躇してしまったりとか、これを拭い去るのがオレにとっての大人になる、っていうことだ。
しかし、ほんと5年前にくらべて、友人がこうして温泉に誘ってくれたりとか、着実に良くなってきている。ようやくスタートラインって感じで、この訪れがホントに遅かったなってこれまた落ち込むけど、これが自分の人生で罪は無いのだ。
と、アマゾンから届いたBack to mine / EverythingButTheGirl を聴きながら、書くことで得られるカタルシスっつーか。
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