銀河鉄道911

2004年8月31日
ボーリングフォーコロンバイン。
90年代前半の湾岸戦争では
息子を失った米国の母親とイラクの母親の悲しみの重さは
何が違うのか?
と問われ、結局悲しみの数は、本当か嘘かわからない死者数は
悲しみを定量的に語っていた。
米国の母親の悲しみがテレビに出ると、その背景にはイラクの母親の悲しみも
投影される見方が正しいテレビの見方だ。
映像は意図的に観る側の感情を左右することが出来、そういう感情に訴えかける
意図を読み取る気持ちで観に行ったわけだけど、そりゃライフル協会糾弾の話の
流れの政治的な意図は、その感情に乗ってしまう危険性を十分に感じることが
出来る映画だったわけだけど、そういうドライな気持ちでいたのに、
カフェテリアの防犯VTRの映像は、あまりに悲惨だった。
そういう現場にいた市井の人々の現実があった事が十分に伝わってくる映像だった。
そこに政治的意図を絡めるのは、みずからのパロディの手法で自らが滑稽に陥っている
マイケルでぶだと感じた。

そして華氏。前回よりも政治的な、大統領選挙にたいする布石的。
実際に、あの上院議員の署名を貰えない有色の下院議員の演説のシーンで
悲しいフィーリングのBGMが流れたりする。こういう感情への訴え方は
危険だと思う。そういう感情に訴える映画の構造を観に行くぐらいの
軽い気持ちだったのに。
悲惨だ。悲しみはどこまでも悲惨だ。貧しい人たちは、意図的に
テレビに映らない。
ある種の無知について語られていた。しかし、真実への地理的距離は遠く、
実は知らなくても良いことを、無理やり僕らは知らされていて、
それに対し、悲しい気持ちになったりすると、その感情は政治的に意味を持ち、
かつ危険な方向へ、本人の気が付かぬまま誘導されていたりする。
そんな危険を、僕は、最近の世界で中心とか、そういう事に簡単に感情を
動かされたりする人たちがいるってことの延長線上に感じる。
政治的な意図さえなければ、飛行機を使って海を越えることが出来、
世界のニュースを新聞で読める現代の僕たちには、悲しいけど、これが
世界なんだってことを知らしめる必要悪なドキュメンタリーだろう。
しかし、政治的意図を、感情的に訴えるとても危険で、しかしくやしいけど
痛快な演出のある映画だった。皮肉的なパフォーマンスだけで終わってれば
良かったのに。
親に連れられた小学生ぐらいの子供が見ていた。
連れてきた親はマジくそくらえだと思う。子供は親を選べないのが人間の原点か。
80年代後半に、まさか21世紀がこんなことになってるとは思わなかった。
ソマリアってどうなったのかニュースでまったく伝えられなくなるなんて。
しかし、家の外でまさしく今はげしい風と雨を撒き散らしている台風16号が
アスファルトでどこまでも灰色のこの街からエメラルドシティへ連れて行って
くれたなら、現代的魔術の無意識的意図を僕は甘受するのだ。

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unk

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